ボクは、いまの自分に失望している。そして、ボク自身は絶望している。もはや救いもなく、それでも生きている。
とにかく、生きている間は、生き続けることをヤメられない。どんなに苦しくても嘆いても、状況はよくならない。
同じような苦悩を抱えている人と共有出来きても、お互いを知ることは出来ない。
まさに、自分のことは自分でどうにかするしかないのだ。手助けや救いになることはとてもありがたいことである。
それに感謝しつつ、自分を立て直すのは、自分しかいない。病気の治療も医者ではなく、自分自身が治るしかない。
そんな孤独な闘いを何十年も続けていると、人のあり方が見えてきたりするのだ。
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人の心は温かい、という。それに違いはないだろうけれど、それを当てにしてはいけないことを身をもって感じる。
何かを期待などすると、それが1ミリでもズレていたら、余計に失望するのだ。しかもそれは他人のせいではない。
他人を否定しても意味などない。人は、他人との関わりの中で生きているものだ。
いかに、自分にも他人にも嘘偽りなく、自分を体現出来るかだ。ボクはそうやって生きてきて、痛い目にも遭った。
バカ正直になることは、生き方として賢明ではないかもしれないけれど、常に壁に突き当たることが生きることだ。
アメンボウのように、水面をスイスイ生きていけたらいいとは限らないのだろう。
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どんなに人の心が温かいとしても、その人も『自分』を生きているのだ。すべてが合致することなどはあり得ない。
お互いに『違い』があるからこそ、人は想像力のありったけを総動員して、他人への思いやりや心遣いを生むもの。
それが見当違いの場合もある。いや、その殆どが『何か違う』のだとボクは思う。
だから、ボクも人に対して無責任なことなど軽々しく言えない。『あなたの気持ち判ります』など、言えやしない。
厳密には、他人の気持ちなど判る方がオカしい。自分の経験や思考などを参考に、想像することしか出来ないのだ。
そこで、自分には何が出来るのか。その誠意を惜しみなく示すことが大切だろう。
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自分も含め、人は案外いい加減なものだ。知識を得ると、偉くなったような錯覚をする。自分は正しいとも思える。
何かを知っても、苦労をしても、たかが一人の人間を生きるだけだ。その他大勢のことなど知る由もないのである。
いかに謙虚な気持ちと『望み』を持つ心を自ら育てる意思を失わないかに思える。
ボクは植物を見ることにしている。実にシンプルな生き方をしている。それでいて理にかなった奥深さがあるのだ。
水と光と土の恩恵を最大限に活かし、見事に成長し続ける。だが、そのバランスを崩せば、あっさりと死ぬものだ。
一輪の幹から枝葉を伸ばし、誰かに褒められることは求めず、凛として存在する。
枯れた部分は潔く削ぎ落とし、やがて肥やしになり、命の巡りを自己再生で示す。
人のように、魂や心や意思はないのか。神のみぞ知る。ボクは相当に無知なのだ。
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それでいて、目に見えない部分では、空気を浄化したり、人の心を癒したりする。
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